【わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。】
(ヨハネによる福音書15章5節)
霊の命において、進歩しないことは退歩することです。新生児は、生まれた瞬間から一刻の休みもなく成長し続けていきますが、全くそれと同じように、聖霊において新たに生まれ変わった私たちも、日に日に進歩成長しなければなりません。そうでないなら、発育がとまってしまって、いつまでも未熟児のままでいるでしょう。あなたは、新しい命が与えられたのですから、日ごとに成長して充分に成熟しなければなりません。
《聖霊による洗礼》を受けたということは、一歩足を踏み出したということに過ぎません。ですから、今の時点があなたの霊の命の頂点ではなく、これから頂を目指して登りはじめる登山口であるべきなのです。主は、今の時点があなたにとって、日を追ってより満たされた命へと歩み出すための、最初の一歩であってほしいとお思いなのです。
あなたは、命の中に種を受けたのです。その種は、肥沃な土地を得、行き届いた手入れを受けて、自然に成長し、やがて芽を出します。そのためには、何をせねばならないかを考えましよう。しかし別に心配することはありません。種は成長していくのですから。
次の図を見てください。
この車輪はキリスト者としての生活を図解したものです。
輪縁が車の軸を中心にして回転すれば、車は前進します。
軸はキリストです。軸が車全体にとって力の源泉であり、方向づけであるように、キリストもあなたの生活の力の源、その方向づけです。
この車には四つの輻(スポーク)があります。
これは軸から力と方向とを受けて、輪縁に伝達します。輪縁がこれらの輻によってしっかりと車軸に連結されているかぎり、車は誤りなく前進します。キリスト者としてのあなたの日常生活の車輪にも四つの輻があります。それは、祈り、(神のみことば)の学習、共同体(他の兄弟たちの支え)、奉仕のわざ、この四つです。
霊の命の成長は、キリストによってもたらされます。しかし、キリストと固く連結しているためには、次のことを忠実に実行せねばなりません。すなわち、
・毎日の祈り。
・神のみことばの定期的な学習。
・祈りと助けを分かち合うため、他の兄弟たちとの定期的な集い。
・キリスト者としての奉仕のわざの探求・・・特に、与えられた新しい命を分かち合うための奉仕のわざを考える。
「精読箇所」 ヨハネによる福音書第15章と、ガラテヤの信徒への手紙第5章。
今週は、キリストとの一致の深まりと、聖霊に満たされた命の二点です。
命のことば
第一日
イエスは、聖霊によって刷新されたあなたの命の中に、生ける水を湧き出させてくださいました。その新しい霊の泉は、すぐにでも干上がってしまうような水たまりのようなものでは決してありません。それは、実にとうとうと湧きいで、溢れ出る命の泉です。あなたが、それをせき止めようとしない限り、いつまでも絶えることなくほとばしり出て止まぬ生ける水なのです。
イエスの約束を聞きましよう。
【わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。】
(ヨハネによる福音書4章14節)
第二日
あなたは今、キリストのうちに生きているのです。あなたがしっかりとイエスに一致している限り、あなたは主によって大きく成長して豊かな実りを結ぶでしょう。しかし、もしも自分をキリストから切り離すなら、あなたはたちまちにして枯れ萎んでしまいます。主の忠告を聞きましょう。
【わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。】
(ヨハネによる福音書15章5~6節)
第三日
イエスは、あなたの自我、すなわちあなた自身を全く一変させられました。以前とは全く異なったより深い霊性の、より充足したすばらしいあなたに変化させてくださいました。しかし、あなたは、この新しいあなたを、現実のあなた自身として実際に体験しなければなりません。それがためには、あなた自身が積極的に古い自我を脱ぎ捨て、神のかたどりである新しい自我を身につけねばならないのです。
みことばがあなたに迫ります。
【滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。】(エフェソの信徒への手紙4章22~24節)
第四日
命の源泉である神との親しい交わりから、切り離されたくないなら、祈らねばなりません。イエスご自身祈られました。神のみ子でありながら・・・しかも常に宣教のみわざに明け暮れする多忙な日々を過ごされながら、イエスは祈りの必要を痛感しておられました。あなたも、霊の命に活き活きと生き続けたいと思うなら、主イエスの模範に従わねばなりません。
【・・・イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群集が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。】(ルカによる福音書5章15~16節)
第五日
霊の命にますます深められたいと望むなら、神のみ教えを学ぶことが絶対に必要です。
聖書の神のみことばは尽きることのない宝庫です。その中にこそ、命のことばが無尽蔵に秘められています。ですから、聖書を熟読し、そのみ教えについて熱心に黙想しましょう。そうすれば、あなたは必ずや長足の進歩をとげられることでしょう。あなたの霊の命に・・・。
神は言われます。
【・・・この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。】
(テモテへの手紙二 3章15~16節)
第六日
キリスト者としての霊の命は、決して個人主義的な命ではありません。孤立しているキリスト者は不完全なキリスト者です。聖霊は、初代のキリスト者たちを一つに団結させ、かれらが互いに助け合いながらキリストのからだに成長していくように、一つの共同体を形造らせられました。あなたも、教会という神の民の集い(特に主の日の感謝の祭儀の集い)を大切にし、また、あなたを助け支えてくれた兄弟姉妹たちとともに結ぶ祈りの集いには、喜んで欠かさず参加するように努めてください。
あの五旬祭の日以来、弟子たちが守っていた善い習慣を見習うことを忘れないように。
【ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。】
(使徒言行録2章41~42節)
第七日
もしもあなたが誰かを愛しているなら、あなたは、自分の持っている一番よいものを、その人にも分けてあげたいと思うはずです。ところで、今あなたが持っている最上のもの、それは、主なる神以外の何ものでもありません。ですから、あなたが聖霊の導きによってようやく見出した最高の宝、主なる神を、まだそれを手に入れていない兄弟姉妹たちに分かち合おうと、真剣に考え、また努力しようではありませんか。
【時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。】
(コロサイの信徒への手紙4章5~6節)