第四週 聖霊による洗礼を受けるために(回心)

《聖霊による洗礼》を受ける準備

皆さん、今週は主があなたがたに心の準備をさせようとお望みになっておられます。ですから何も恐れたり心配したりすることはありません。また、どのようにすれば聖霊による洗礼を受けられるだろうか、と不安がる必要もありません。ただ、「主よ! 私をそれにふさわしくしてください」とお願いするだけでよいのです。主はあなたを愛しておられますから、必ずよいようにしてくださいます。

まず、命のことばに心の耳を澄ませましよう。神のみことばがあなたを準備させてくださるのですから。

つぎに、悪霊にまどわされることがないように極力用心しましょう。もしも、困惑や疑心や不安を感じるようなことがあったら、悪霊に向かって、「立ち去れ」と叫びなさい。「私はイエスのものだ。おまえは絶対に主なるイエスには勝てないのだ! さっさと立ち去れ!」と命令しなさい。そして、ただひたすら神に信頼するのです。

神はあなたを愛しておられます。神はあなたの命を聖霊で満たしたいと望んでおられます。神は求める者に聖霊を約束なさいました。すなおな気持ちで、ただ信頼していなさい。悪霊はきっと、「お前なんか《聖霊による洗礼》を受ける値打ちなどないのだ!」と言うでしょう。そして、それは本当です。《聖霊による洗礼》を受ける値打ちのある者なんかただの一人もいないのですから。神は、あなたがそれを受ける値打ちがあるから《聖霊による洗礼》を授けようとされるのでは決してありません。そうではなくて、神があなたをただ無償で愛しておられるからこそ、そうなさるのです。おん独り子イエスがあなたのために命を棄ててくださったからこそ、神はあなたにそうなさるのです。

あなたがイエスに一切を明け渡し、そしてすでに聖霊による洗礼を受けた他の兄弟姉妹たちとともに祈り求めるなら、イエスは、きっと、あなたの命を完全に一変してくださいます。そしてあなたは、聖霊のうちに全く刷新された命を生きはじめるのです。そのことだけをただひたすらに期待しなさい。すなおに神の約束に身を委ねなさい。

ただ注意しなければならないことは、何か特殊なことを体験しようと、焦ってはならないということです。ある人は、兄弟たちと一緒に祈っている最中に、突然強烈な体験をします。かと思うとその反対に、ある人々は、別に特別な体験も大した感動も受けないことがあります。

あなたが求めねばならないのは《聖霊による洗礼》そのものであって、決して特殊な体験ではありません。とは言っても、《聖霊による洗礼》を受けて、聖霊との全く新しい関係に結ばれた瞬間、あなたは、今までとは全く違った実感で、聖霊があなたの中に臨在されることに気付くでしょう。換言すれば、あなたはその時、聖霊があなたの命の中で、今までとは全然違った方法で働きはじめられたということを悟るに違いないのです。

異言の賜物を主に求めてください。異言は確かに神の賜物です。今のあなたには、異言が何であるかを理解できなくても、この賜物が本当の賜物であって、それをいただくことはまことにすばらしいことだということを信じてください。もしもあなたが、異言の賜物なんか欲しくないと思うなら、あなたは聖霊の働きを拒むことになります。なぜなら、聖霊はあなたを通じて、お望みのままに働きたいと思われても、それがおできにならなくなるからです。ですから、神があなたに与えようと望んでおられる賜物に対しては、心の扉を大きく開いて、すべてを受け入れてください。緊張を解いて、楽な気持ちで、神のみ前にすべてを委ねてください。とにかく神は、あなたを限りなく愛しておられるのです。神の父性愛が、あなたを暖かく包んでいることを忘れてはなりません。あなたを救うためにこそ、神が御子をお遣わしになったことを、はっきりと思い出しなさい。そして、来る日も来る日も、飽きることなく、あなたの命を主に委ねなさい。

今週の間中、しばしば次に掲げるみことばを熟読してください。それが、《聖霊による洗礼》を受けるためのあなたの心の準備となるでしょうから。

【我らの魂は主を待つ。
 主は我らの助け、我らの盾。
 我らの心は喜び
 聖なる御名に依り頼む。
 主よ、あなたの慈しみが
   我らの上にあるように
   主を待ち望む我らの上に。】
(詩編33章20~22節)

【キリストへの明け渡し】

次週(第五週)のセミナーで、あなたは《聖霊による洗礼》を受ける祈りの前に、キリストとの誓約をします。リーダーは三つの質問をします。あなたははっきりと答えてください。そのために今週は、これらの質問と答えを黙想し祈ってください。

一、あなたは、悪霊とそのわざを捨てますか。

二、あなたは、私たちを罪から解放するために死に渡され、そして私たちに新しい命を与えるために復活された神の独り子イエス・キリストを信じますか。

三、あなたは、主イエス・キリストに最後まで従いますか。

【祈り】

主イエス・キリスト、私は今からあなたのものになることを誓います。私を暗闇と悪霊の支配から解放し、み国の民の一人としてください。今後一切、悪霊のわざと誘いを断固として退けることを誓います。主よ、わたしがかつて犯したすべての罪をお赦しください。今後、わたしの命をあなたに献げ、私の主としてあなたに従うことを誓います。

どうぞわたしに《聖霊による洗礼》をお授けください。そして、異言の賜物をもお与えください。あなたのみ名によってお願いいたします。アーメン。

「精読箇所」 ヨハネによる福音書第4章と、使徒言行録第13章。

今週は、主への回心と、信仰という問題を考えましょう。

命のことば

第一日

神が聖霊による新たな命をあなたに与えようとされるのは、一体なぜなのでしょうか? 理由はただ一つ、神があなたをこよなく愛しておられるという、ただそれだけの理由です。ですから、それはあくまで神の方からの無償のたまものです。あなたの方からそれを請求するいかなる権利も資格もありません。

神のみことばを聞きましょう。

【わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。】
(テトスへの手紙3章4~6節)

第二日

聖霊により刷新された命は、確かに神の方からの無償のたまものです。しかし、だからといって、あなたは手をつかねて、神が与えてくださるのをただ黙って待っておればそれでよいというのではありません。あなたの方からも、それを受け取ろうと真剣に手を差しのべねばならないのです。神に向き直り、神に立ち帰って来る人すべてに、神は新しい命を惜しみなくお与えになります。

イエスは、はっきりと言われました。

【祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている《霊》について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、《霊》がまだ降っていなかったからである。】
(ヨハネによる福音書7章37~38節)

第三日

イエスに立ち帰るということは、言いかえれば、聖霊に満たされるのに妨げになるもの一切を、断固として退けること(回心)と、さらに、神が約束されたことを心でしっかりと受けとめること(信仰)を意味します。あなたが回心と信仰とをもって、主に立ち帰るなら、主はあなたを新しい命に生まれ変わらせてくださいます。

主のことばに従いましよう。

【「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて(回心)福音を信じなさい(信仰)」と言われた。」】
(マルコによる福音書1章15節)

第四日

主に立ち帰る人は、誰でもこの新しい命を受けることができます。ですから、聖霊の賜物は間違いなくあなたのものです。悪霊はあなたの心を惑わして、「私は聖霊による洗礼を受けられる人間ではない」などと思いこませようとするでしょうが、神のみことばを疑ってはなりません。

神は次のように言われます。

【悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。】
(使徒言行録2章38~39節)

第五日

言うまでもないことですが、聖霊の賜物を、あなたが自力で獲得することはできません。しかし、あなたは、キリスト者としての生活と相容れないことは、どんなことでも無条件に退けることはできますし、それこそがあなたのしなければならないことなのです。新しい命とは、神が聖であるように、あなたも聖となるということなのですから。

神の厳しいことばを聞きましょう。

【正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。】
(コリントの信徒への手紙一 6章9~10節)

第六日

信仰とは、神の約束に信頼をおくことです。あなたは、神が全能のお方で何でもおできになることを知っています。ですから、神の約束に絶対の信頼を寄せなさい。そしてアブラハムのように、あなたも神の約束の成就を、信仰をもってひたすらに願いなさい。そうすれば、あなたは遠からず悟るに違いありません。神が、今までとは全く違った方法で、あなたとともに働かれることを。

パウロはアブラハムの信仰をたたえてこう言っています。

【彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。】
(ローマの信徒への手紙4章20~21節)

第七日

あなたが回心と信仰とをもって神に立ち帰ったなら、その次にあなたのすることは、熱心に《聖霊による洗礼》を主に請願することだけです。それから後のことは神におまかせしましよう。神は必ず私たちの願いを叶えてくださいます。なぜなら、神は私たちを愛しておられて、私たちと完全に一致することを、誰よりも強く望んでおられるからです。

神は、祈り求める者には神の霊を与えると、はっきり宣言なさいました。

【私は言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。】
(ルカによる福音書11章9~13節)